2006年 01月 31日
住む”まち”への意識 |
今、ひとり暮らしをしてもうすぐ1年になります。
ひとりで暮らし、異なる環境にいると、地元をよく感じるようになりました。
地元についての私の今の気持ちです。
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私の地元の街は、取り立てて特徴もなく大きく宣伝できる魅力もなく知名度もなく別に便利な場所でもなく歴史や伝統があるわけでもないのですが、かといって私の地元でもなく、人に説明のし辛い街です。
親が家を買ったから住んでいただけ、という消極的な理由で住んでいるわけですが、私は自分の住んでいるところを自分で否定する気はありません。
なぜなら、頑張っていい店をつくる人たちがいるからです。こういう店をみつけたときには、本当にわくわくします。東京の一等地で見つけたよりももっとわくわくします。もっと立地のいい場所に出店してもいいレベルの店があったりすると、本当に励まされます。
また、素敵な地域をつくってくれる住人のひとがいるからです。いつも通る道の、庭先の木々や花を手入れし育ててくれている人によって、季節を感じられたりします。地域の自転車置き場の方は一日に一瞬しか接しないけど、本当にその一瞬を大切にして「いってらっしゃいませ」と言ってくれます。
どんな街だろうと、ひとりひとりの意識でだいぶ街は魅力的なものになり、そしてポテンシャルを持ち得るのではないのでしょうか?
みなさん、自分の住むまちへ、色々な意識を持っているでしょうが、
私のその意識は、自慢したり(自慢できることは勿論すばらしいことです。でも、それを自分の手柄や自分の力を誇示するように語るのは嫌いです。)、卑下したり(そんな必要はないと思います。)するのも、私がこの私の”まち”を説明する時に、なんか違うなぁ、と思います。
だから、うまくわたしの”まち”について言葉を持ちません。
だけど、これから自分はいろいろな街と関わるだろうけど、私自身が気持ちのいい住民になりたいなぁ、と思います。
それが、わたしの”まち”が教えてくれたこと、でしょうか。
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ひとりで暮らし、異なる環境にいると、地元をよく感じるようになりました。
地元についての私の今の気持ちです。
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私の地元の街は、取り立てて特徴もなく大きく宣伝できる魅力もなく知名度もなく別に便利な場所でもなく歴史や伝統があるわけでもないのですが、かといって私の地元でもなく、人に説明のし辛い街です。
親が家を買ったから住んでいただけ、という消極的な理由で住んでいるわけですが、私は自分の住んでいるところを自分で否定する気はありません。
なぜなら、頑張っていい店をつくる人たちがいるからです。こういう店をみつけたときには、本当にわくわくします。東京の一等地で見つけたよりももっとわくわくします。もっと立地のいい場所に出店してもいいレベルの店があったりすると、本当に励まされます。
また、素敵な地域をつくってくれる住人のひとがいるからです。いつも通る道の、庭先の木々や花を手入れし育ててくれている人によって、季節を感じられたりします。地域の自転車置き場の方は一日に一瞬しか接しないけど、本当にその一瞬を大切にして「いってらっしゃいませ」と言ってくれます。
どんな街だろうと、ひとりひとりの意識でだいぶ街は魅力的なものになり、そしてポテンシャルを持ち得るのではないのでしょうか?
みなさん、自分の住むまちへ、色々な意識を持っているでしょうが、
私のその意識は、自慢したり(自慢できることは勿論すばらしいことです。でも、それを自分の手柄や自分の力を誇示するように語るのは嫌いです。)、卑下したり(そんな必要はないと思います。)するのも、私がこの私の”まち”を説明する時に、なんか違うなぁ、と思います。
だから、うまくわたしの”まち”について言葉を持ちません。
だけど、これから自分はいろいろな街と関わるだろうけど、私自身が気持ちのいい住民になりたいなぁ、と思います。
それが、わたしの”まち”が教えてくれたこと、でしょうか。
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by yuriyururi
| 2006-01-31 14:59
| 地元/my sweet hometown