2006年 04月 19日
胡麻粒ほどの悩み |
胡麻が好き、ということに迷いはない。問題なのは、胡麻の”粒”の大きさだ。
先日、実家でおにぎりをにぎり、「お母さん胡麻もうすこしでなくなるよー」「はいはい、詰め替えなくちゃねー」なんて会話を交わして、母が出してきた胡麻である、問題は。
母の買った胡麻は、けしの実と写真の胡麻(私の考える胡麻のあるべき姿)の中間ぐらいの大きさだったのだ。「なにこの胡麻!?」「えっ??あら、小さかった??いいじゃない」「良くないよ、噛んだときの”プチッ”っていう感じが違うんだよ」「まあいいじゃない、使ってよー」「ううーん…まったくもう…」
私にとっては、働き蟻の大きさと、小さい蟻の違いぐらい、明確にその違いがあるのだ。
そんな小さな大きさより、胡麻の大きさが判断のつかなくなった母の目のほうを気遣いたいものだ。本当に、胡麻粒ほどの悩みである。
先日、実家でおにぎりをにぎり、「お母さん胡麻もうすこしでなくなるよー」「はいはい、詰め替えなくちゃねー」なんて会話を交わして、母が出してきた胡麻である、問題は。
母の買った胡麻は、けしの実と写真の胡麻(私の考える胡麻のあるべき姿)の中間ぐらいの大きさだったのだ。「なにこの胡麻!?」「えっ??あら、小さかった??いいじゃない」「良くないよ、噛んだときの”プチッ”っていう感じが違うんだよ」「まあいいじゃない、使ってよー」「ううーん…まったくもう…」
私にとっては、働き蟻の大きさと、小さい蟻の違いぐらい、明確にその違いがあるのだ。
そんな小さな大きさより、胡麻の大きさが判断のつかなくなった母の目のほうを気遣いたいものだ。本当に、胡麻粒ほどの悩みである。
by yuriyururi
| 2006-04-19 01:13
| 日々の生活/daily life